信州の山里にある寄宿生活塾の暮らし


by freekids
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火事

12月6日に、お隣に住んでいる吉本家で火事がありました。
6日から今日までの出来事を、私(孝子)と、フリーキッズの皆でご報告します。




[12月6日(水)]

 12月6日午後10時ごろ。薪ストーブの暖かい居間で、剣道の練習後温泉に行って帰ってきた子どもたちにテルミーという温熱治療をしていた時です。
 突然、「たかこ、火事。電話して!」と、隣下に住むゆりが、居間に飛び込んできました。顔は黒こげ、前髪がチリチリになっていました。
「119だよね、119だよね。」と、私は慌てながら通報をし、次に近所の家に電話して「吉本さんの家が火事です。消火栓にいきます。」と伝えました。「誰か大人が残って子どもたちを見てちょうだい!」とフリーキッズの皆に叫びながら、私とひろしとカズは急いで家から飛び出しました。「ゆりのことはうちの誰かが見てくれるだろうから、とにかく火消しを。」と、黒い顔で水道の水に手を冷やしているゆりと、何故か全く普段と変わらない様子でひょろりと突っ立っているゆりの長男、A君を残し、外に飛び出したのです。
 そして、真っ暗闇の中、長靴に履き替え、まっしぐらに消火栓に走りました。この時、「消化栓に行くよ!」の一言で、ひろしとカズが真っ暗闇を消火栓まで走れたのは、彼らが私と一緒に火災訓練に出てくれていたからです。
薪ストーブや薪風呂、かまどなど火を扱う我が家なので、火事の際の消火活動をシュミレーションしていたことが迅速な対応につながったと思います。



ゆりの家が見えるところに出ると、もうすでに家の半分はボウボウと燃え上
e0015223_22401267.jpgがっていました。消火栓の赤い箱のとびらを開け、真っ暗でよく見えないながらもつなげたホースを持って、ひろしとカズがゆりの家の前に走ります。ただただ、必死でした。
「いいよ!」との叫び声に応じて「はい、水出します!」と叫び返し、消火栓に取り付けたレバーを下の家のひろこさんと二人で回します。けれど、消火栓はびくとも動かず、慌てればどちらに回すのが正しいのかもわからなくなり、けれどいずれにしても全く動かなくて、あたふたと焦るばかり。「水が出ないから来て!」と叫ぶと、カズが戻ってきてレバーを回してくれ、水が物凄い勢いで流れ出しました。
火の手は私たちの消火活動よりも優勢で、ゆりの家とフリーキッズの間の土手までがどんどんe0015223_1948242.jpg
燃え上がっていきます。カズに「うちの車を道の上にあげて、子どもたちを避難させて、うちが燃えてもいい状態にしてちょうだい。」と伝え、うちに戻ってもらいました。これはダメかもしれない、と私は半分あきらめていました。
もう、ゆりの家の消火より延焼を防ぐ事のほうが大切になってきてしまいました。ホースは一度水を出し始めるとひどく重くて、向きを変えるのも容易ではなく、水を止めに消火栓まで走りました。そして急勾配の土手に移動し、お隣の物置小屋と我が家の藁小屋とに燃え移らないよう、
消火をはじめました。電線も燃え、土手の木も燃えいます。何よりも顔が焼けそう
e0015223_19542254.jpgに熱かったです。ずっと先頭でホースを持っていてくれたひろしは、頼りになり、
有難かったです。
その時、近所に住むフリーキッズのきこり仕事の先生、盛くんが
来てくれたときには、何だかホッとして力が抜けそうな気がしました。
 消防車が到着し、しばらくして誰かの「子どもが2階にいたって?」という声を耳にし、ハッとしました。A君はいたけれど、次男のH君を見ていませんでした。が、すぐに、H君はお父さんと旅行中だということがわかり、心の底から安堵しました。
けれど同時に、下村さんがいない事にも気づきました。e0015223_23263930.jpg

「下村さんがいない!かっちゃんが夜6:30までゆりの家で下村さんにギターを教わっていた、そして車もバイクもあるのだから、下村さんがいるに違いないのに、見当たらない!」
 私は、急にひどく不安になり、消防団に下村さんを探してくれるように言いました。目の前の火事の事よりも下村さんのことが心配で心配で、いても立ってもいられません。でも、火は全然消えずに隣の家の物置から煙が出始めているし、うちの土手はもう、上まで燃えあがり、小屋の手前の
最後の数本の立木が燃え始めています。

e0015223_2322199.jpg「ああ、もういやだ!早く下村さんを見つけてください!」と、祈りながら、私達は消火活動を続けました。
その時、いつも不携帯の携帯電話が何故かジャケットのポケットにあり、うちに電話をしましたが、繋がりません。電話線が燃えてしまっていたからです。子どもたちのことが気になり、土手 から家に駆け上がると、家はもぬけの殻。ちゃんとどこかに避難をしているのだと思いました。
 すぐに現場に戻ると、次から次へと消防車が到着し、消火活動を行い始めた所でした。同じくして警察も下村さんについて聞きに見えて、私は高遠の町に住まいがあることを伝え、そこに戻っていないか調べてもらうように頼みます。それ以外に私達に出来る事といったら、祈ることしかありませんでした。e0015223_2313234.jpg火は徐々に消えていきました。
「下村さん、発見したって、良かったね。」
 と、どこかで声が聞こえてきました。「ああ、良かった。」と私はホッと胸を撫で下ろして、警察の人たちが数人いる鎮火した現場に近づいていくと、「下村さんらしき遺体が見つかりました。」と、ブルーシートで覆っているところでした。
「えっ!発見って、こういう発見なんですか、、、。いやだー。」と、叫ぶ私に視線が集まりました。「近くに行ってもいいですか?」「いや、まだ、警察が調べてから。」
 全身のすべての力が抜けていくようでした。
その後フリーキッズの子供や女の子達の避難所に電話して無事かどうかe0015223_2318781.jpgを確認し、事情聴集をしたいからと警察に言われて家に戻ったのが夜中の12時頃。一段落した所で、私は下村さんとゆりとがお世話になっている本應寺(東京)の品愚(ぼんぐ)上人に電話をして状況を伝えました。「明日行くから。」と、凡愚上人はすぐに言ってくれました。家に戻った子どもたちは、恐怖で動揺していましたが、抱きしめて、そのまま寝床についてもらいました。
 その後、集会所に行くと、隣の組の人たちがしてくださった炊き出しが並び、消防や警察のみなさんが戻られるのをここの地域の組の人たちが待っているところでした。
家は全焼してしまったものの、ぎりぎり延焼だけはまぬがれました。

 [12月7日(木)]
 ゆりは入院となり、A君は帰ってきました。私が集会所から家に戻った朝の4時ごろ、うちの人たちは起きていて、というよりも寝られずに、待っていてくれました。 ほとんど眠れないまま朝を迎え、ゆりの病院へ。ゆりは酸素マスクをつけながらも出火の原因と思われる事や今後の希望などを話してくれて、ちょっと安心できました。
 私は朝9:30からの現場検証に戻り、集会所での警察や消防の方々にお昼ご飯をとっていただく準備をしているところに品愚上人とお寺の静遊さん、たまたまお寺に滞在中で夜中の私の電話を受けてくれたミュージシャンのシ-ナが到着されました。
 e0015223_2332478.jpg現場でお念仏をし、これまでのこと、ゆりがここで暮らしていたいと思っている事を手短に話しました。そして、現場の片付けに念仏工房の重機を出していただけける事に即決まりました。
私は、自分ひとりでは処理しきれないこの状況に押しつぶされそうに感じていたので、本当に涙が出るほど有難かったです。そして、集会所でお昼休みを取られているゆりの家の大家さんに、焼け跡の片付けをゆりに代わり、上人とうちとでお引き受けをすることを上人さんから伝えていただきました。
 フリーキッズのみんなに、現場を確認するために障害物を動かす現場検証のお手伝いを午後も続けてもらい、私は上人たちと下村さんの供養とゆりのお見舞いにいくことにし、A君も誘いま
した。e0015223_23342457.jpgA君は午前中、現場検証されているゆりの家をうちの庭から見下ろしたきり、布団から出て来れずにいました。
 下村さんが安置されている場所に着き、刑事さんが一度扉を開けてくれようとしたのですが、「申し訳ありませんがお見せできません。」とのことで、その建物の前でご供養のお念仏を唱えさせていただきました。
 そして、ゆりの病院へ。旅先から急遽戻ってくるH君とお父さんに連絡がつき、病院で待ち合わせをしました。やけどでただれたゆりの顔をじっと見つめているA君の顔が印象的でした。ベッドで横たわっているゆりの顔は、火事のそのとき、2階で寝ているA君を思い出してバケツで全身水を浴び炎熱地獄に飛び込んだ母の顔でした。

[12月8日(金)]e0015223_23434443.jpg 
 朝8時30分から、地区の隣組の人や消防団など有志の方々が火事現場の灰かきに集まってきてくださりました。40名ほどの人達で燃えかすを可燃ごみ、不燃ごみに分別しながら家の前の畑に積んでいきます。「わしゃ、足が悪いもんで何も手伝えなくてすまんね。」と、言いながら杖をついたおばあちゃんも出てきてくれました。作業は大変はかどり、「フリーキッズは午後もお願いします。」ということで、お昼に解散となりました。
 午後13時40分に下村さんの火葬が始まりました。下村さんのご長男の翔さん、下村さんのご兄弟3人、離婚された奥様と共にお念仏を唱え、お見送りをさせていただけることになりました。
 そして、夜7時からフリーキッズで仮通夜をする運びとなりました。私は4時から、Kさんが進学希望をしている高校との面談が中学である為、約束の時間から次の時間へと、綱渡りスケジュールでした。
 連絡が充分に回っていないにもかかわらず、10畳2間にいっぱいの方が集まってくださいました。下村さんのご親族の方々がいらしてくださったことがとてもうれしかったです。
 そして夜遅く、念仏工房から、ユンボーを積んだユニックに乗って来てくれた愚道さんと一条さんが到着しました。

[12月9日(土)]
 雨が振る中、フリーキッズチームは午前中から、現e0015223_2348571.jpg場の片付け。太くて長い柱柱やトタン屋根、車を除き、ほとんどのものを運び出しました。木材はチェーンソーで切り、みんなの村(グラウンド)に運びました。午後は、重機が登場し、大物を見る見る間に片付けていってくれました。

[12月10日(日)] 
 フリーキッズチームとお寺の方々は、昨日に続き現場の片付け。この日S君とT君は剣道の試合で、私は送り迎えに行った後、午後の作業に応援に行き、そしてまた夕方有里のお見舞いへ行きました。有里は面会時間を過ぎても話が尽きず、しまいには病院食を分け合って二人でディナーを過ごしました。

[12月11日(月)]
 午前中から現場片付け。ゆりの父上が焼津よりフリーキッズへ到着しました。ゆりは病院から外泊許可をもらいフリーキッズへ。A君とH君もお父さん宅からフリーキッズへ。初七日の法要。ゆりもお父様もゆりの双子の妹ふみちゃんもA君もH君もみんな一緒でうれしかったです。

[12月12日(火)]
 可燃ごみ、不燃ごみをそれぞれ運搬しました。トールナラ日農復旧会の方がダンプを出してご協力くださり、本当に有難かったです。一部が燃えてしまった土蔵は取り壊せませんでしたが、これにて焼け跡は更地となり、ごみも片付き、一段落をしました。どなたにもお金を支払うことなく、どうやって手をつけたらいいのかわからないほどの瓦礫の山が、きれいに片付いたのです。念仏工房なくしては、いくら私たちがやる気を出しても、人力だけではとても片付ける事はできませんでした。多くの方々のご尽力への感謝に尽きます。
夕方、上人と静遊さんは帰路につかれました。本当に何もかもをお引き受けくださった上人にこころの底から感謝をし、敬意を表したい思いでいっぱいです。

[12月13日(水)]
 我が家の仕事をお手伝いくださるために居残ってくださった愚道さんと一条さん。さっそく朝8時からみんなの村(グランド)の泥さらいをはじめてくださりました。畑に地下水が湧き出るか試し掘りもしてくださいましたが、残念ながら水はでませんでした。
 「福井までユニックで帰ると7時間くらいかかるから、夜になって道が凍る前に帰る」とおっしゃり、ぎりぎりまで愚道さんと一条さんがお手伝いをしてくださいましたが、時間に余裕がなくなり、最後に寄りたかったゆりの病院にも顔が出せず、仕方なしに急いで帰られました。
 そして、その後が、びっくりの叫びでした。一条さんが帰り際に「愚道さんからの手紙です。恥ずかしいから後で読んでって。」と、渡してくださった封筒。こたつにすわって開くと、何と手紙と一緒にお金が入っていたのです。
本当にびっくりしました。私たちが愚道さんにお礼をしたい気持ちでいっぱいなのに、お世話になった上に「フリーキッズの運営資金にしてください。」と。もう、どうしたらいいのかわからず、ただただ感謝をすることしかできませんでした。火事の片付けは、こんなに有難い思いをさせていただいた、感謝の体験でした。

[12月14日(木)]
 突然ゆりが退院する、という知らせに慌てて病院に行きました。
忙しかった一週間、頑張ってくれたフリーキッズの皆には休んでもらいたくて、この日フリーキッズは国立信州高遠少年自然の家へ泊まる予定でした。その間退院してきたゆりを預かる訳にはいかなかったので、私達が帰ってくる間まで、ジーマ宅にゆりをお願いしました。フリーキッズの休息は、愚道さんとジーマからの贈り物でした。

[12月15日(金)]
 子どもたちは国少から学校へ。私はこのブログ書き、ようやくここまで追いつきました。これから、ニュースレターの原稿書きです。
 明日から、ゆりがフリーキッズで一緒に暮らし、療養しながら家探しを始め、新しい生活の準備を少しずつ始めていきます。




 ゆりと下村さんのご縁で、上人やお寺の方々と過ごさせてもらったこの八日間、すべてが学びの日々でした。
本應寺さんとのご縁がこんなにも深まり、フリーキッズにとってもありえないような事の運びでした。朝夕にお念仏を唱え、上人の法話をうかがい、上人と共にすすだらけになり汗を流し、夜は談笑し。本当にありがたい8日間でした。
 下村さんは亡くなってしまうし、あまりに多くの地元の皆さんが3日間お仕事を休んでまで片付けに出てくださっているし、家とパートナーを失ったゆりは入院しているし、空き家だったあの家の大家さんにゆりに貸してもらえるように頼んだのは私だし。私一人ではとても引き受けられない事態となってしまいましたが、上人さん達が到着された瞬間、私はその時まで張り詰めていたものが一気に緩んだのを感じ、安堵のあまり涙が出てきそうになりました。
 お念仏の世界に出会われ、昨年6月に「愚然」という戒名をいただいた時、「涙がでるほどうれしかった。」と言っていた下村さん。「人間、死んでからが勝負ですよ。仏様になって、いかにはたらけるか、そのために生きているんです。」と上人はいっていました。
 下村さんは、火事に気づき、いったん家の外に出てからまだ燃えていない奥の縁側にまわり、上人からお預かりしていた観音様の掛け軸を取りに行ったのではないでしょうか。そして、サッシを開けたとたんに煙にまかれて、倒れてしまったのではないのかと、思いを巡らせています。
 数え切れないほどのお念仏を唱えながら、下村さんの暖かさを常に感じさせていました。観音様に抱かれて浄土に導かれた愚然さんと共にこれからの人生を歩ませてください。そして、ゆりや品愚上人、本應寺のみなさん、多くの友人たちと共に歩ませていただけるこの人生に感謝をしています。

下村誠さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

愛と感謝をこめて 岩谷孝子


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by freekids | 2006-12-16 22:20 | フリースクール